<登場人物・キャスト>
語り手:奈良岡朋子/おしん:田中裕子/竜三:並木史朗/篤子:長谷直美/恒子:観世葉子/清:高森和子/大五郎:北村和夫

<あらすじ>
産まれた子が死産だったと聞かされてから、おしんはものを言わぬ女になってしまった。うつろなまなざしでぼんやり床の上に座っているおしんを見ると、竜三はおしんの心の傷がどれほど深いものか今更のように思い知らされていた。

おしんは黄色い菊を一輪持って、遠い目をしながら鼻に近づけている。
小屋には清(きよ)も来ていた。
「おしんは、産まれた子に名前まで付けとったとよ。『愛』っていうと。誰にでん優しか愛情ば持つっ子になって欲しかて思うたとさい。おしんは愛情に飢えとったとよ。このうちへ来てからというもん、お母さんにも気に入られんでオイでん随分つろう当たってきた。どがん寂しかったことか……」
おしんは菊の花びらを何枚かちぎっている。

「竜……あたいはなんも、お前やおしんが憎うしてつろう当たった覚えはなかよ。おしんでん田倉(たのくら)の嫁になっとない、そい相応のことばしてもらわんば。あたいでん、今度のことは不憫でならんさい。『1つの家に2つのお産が一緒になっとはようなか』て言うけん、随分気にしとったばってん、そいがとうとうほんなことになってしもうて」
着物の胸元から手ぬぐいを引っ張り出すおしんを見て、竜三が手伝ってやる。それを見てちょっと驚いた顔になる清。

「竜……」
「乳でこがん濡るっとよ。時々『痛か痛か』て胸ば押さえて……。飲ますっ子のおらんとこれ、乳だけは出るていうとが哀れでならんと」
「母親ていうとは、不思議かねぇ……」
「雄の時も、飲みきれんごと出たとよ」
「はぁ……世の中うまくはいかんもんじゃねえ。篤子ん子には乳の出んていうとこれ」

清が母屋へ戻ると赤ん坊の泣き声が聞こえた。
「また泣かせとったいね」
「お乳の足らんとじゃなかですか」
恒子が洗い物をしながら言う。
「困ったもんさい。あがんよか体ばしとって、なし乳の出んとじゃろうか篤子は?」

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竜三も台所に入ってきた。
「姉さん、湯ば少しもらいたか」
「どがんですか、おしんさん」
「まだ何でん分からんとよ。おしんは強かおなごやっけ、まさかこがんことに」
「どがん強かおなごでん、子供への思いは同じさい。しかもおしんさんは地獄ば見たとじゃっけん。地獄たいね。自分でへその緒ば切らんばらんてん、地獄たい。篤子さんは乳の出んたいね。罰ん当たったと」

そこへさっき奥の方へ行った清が戻ってきて「竜三」と声をかけたので、恒子は何食わぬ顔で湯の用意にかかる。赤ん坊の泣き声はまだ響いている。
「ちょっと、頼みたかことのあっと」
「お母さん! 嫌って言うぎ嫌けんね!」
篤子が奥から這って出てきた。
「そがんこと言うたっちゃ乳ば飲ませきらんとけん、仕方なか。赤子ば殺すつもりね?」
「そんない、他の人に。ねっ、お母さん!」
「竜三、よかね。篤子ん子におしんの乳ばやって欲しか」

「そがんむごかこと! 少しはおしんの気持ちも考えてやって欲しか」
「おなごっちゅうもんは、そがん心の狭かもんじゃなか。おしんは乳の痛む度に寂しか思いばしとったいね。誰の子じゃろうと乳ばやるっぎ、寂しか思いも慰めらるってもんさい」
「そがん都合のよか理屈! そいだけは誰が何て言うても断る! 姉さん、湯ばもろうていくよ」
たらいを持ってさっさと小屋へ戻ろうと庭に出た竜三を、恒子が追いかけてきた。
「竜三さん。あたいでんむごかことて思うたと。ばってんおしんさんは、今何も分からんたいね。もし乳ば飲ますっ子ば抱くぎ、お母さんの言いさんごと慰めになっかも知れん。おしんさんのために言いよっとよ」

おしんがぼうっと座っている小屋へ、竜三と清が入ってきた。清が抱いている赤ん坊を竜三に渡す。
「おしん。この子に乳ばやってくれんね?」
ゆっくりとおしんが首を回して竜三の顔を見る。
「腹ば空かせとっけん。なっ」
おしんは竜三の手元に目を落とした。竜三が手渡そうとすると素直に受け取る。安堵の表情を浮かべる清。おしんは後ろを向いて授乳を始める。

帰ってきて上着を脱ぎながら大五郎が篤子に怒っていた。
「ようそがんふうけたことを! おしんがどがん思いばすっかぐらい分からんはずはなかたい! あんまり勝手過ぎったい! 連れ戻してくる!」
「お父さん!」
そこへ清が赤ん坊を抱いて嬉しそうに入ってきた。もう泣いてはいない。
「篤子、お腹いっぱい乳ばもろうて満足したとやろ。おしんは黙ぁってこの子ば抱いて。乳ば含ませよっ時のおしんの顔ていうぎ、そら慈母観音のごと優しゅうして……。じっとこの子ん顔ば見つめて。おしんはこの子ば、自分の子て思うとっとでしょう。そいが不憫で……おしんが正気ば取り戻すぎ、どがんつらかじゃろうか。こいから、せめておしんばいたわってやらんば。篤子でん、おしんに感謝せんば罰ん当たっよ。この子はおしんの子ば身代わりにして産まれてきたとじゃっけんねぇ。あっ、恒子、おしんに何でん精のつくもん食べさせてやって欲しか。銭ば惜しむとじゃなか。おしんの体ば元通りにしてやらんば、おしんに申し訳ん立たんさい」
「はい」
篤子は仏頂面をしながらも黙って清の言葉を聞いていた。大五郎はすっかり毒気を抜かれている。

竜三がおしんを布団に寝かせてやる。
「乳ばやって疲れたやろう。今、昼飯ばもろうてきてやったいね」
「かわいい女の子ね……。あの子、私のこと母親だと思ってたのね。じいっと見て、一生懸命お乳飲んでた……」
「おしん……」
「愛が生きてたら、あんな女の子だったんだろうな」
「おしん、お前」
「篤子さんのお乳足りないの? 私のお乳でよかったらいくらでも飲ましてあげる。愛の代わりに産まれてきた子だもの、あの子にだけは丈夫に育って欲しい」
「おしんは何もかも知っとったとか……よかったぁ。正気に戻らんとやなかかて心配したたい」
「何もかも、忘れてしまえたらいいと思った……」
「おしん、許してくれ。オイがもっと早う気のついとっぎ、お前ば一人にすっごたことはせんやったと……」
「いいのもう。やっと諦めたんだから。諦められたんだから……。私には雄がいる。死んだ愛だけの母親じゃないんだもん。雄のためにだって、いつまでもくよくよしちゃいられないわ」
「おしん……」
「早く元気になって出直さなきゃ」
「ああ。焦っことはなか、十分養生して」

「竜三! おしんのお昼遅うなってしもうて」
清と恒子が小屋に入ってきた。
「お母さん、お姉さん、ご心配かけました」
「おしん……」
「もう大丈夫です。すぐに畑へも出られるようになります」
「おしんは愛のことも知っとっとよ。篤子ん子にも乳ば飲ますって言いよっさい」
驚きで目を見開く清。
「おしん、あんたがどがんつらかこっちゃい、あたいでん人の親さいよう分かっとう。そいでん篤子ん子に乳ばくるって言うとね?」
「愛だと、思って……」
「おしん! こん通りたい!」
清は手をついて頭を下げる。
「篤子もどがん喜ぶか……。おしん、あんたはまだ若か。こいからいくらでん子供は恵まるっさい。こん次は体に気ぃ付けて、丈夫な子ば産むごと」
おしんはずっと無表情で聞いていた。静かに話し始める。
「お母さん……。あの子は産まれた時、ほんとに生きてたんです。でも泣かなかった。泣く、力がなかったんです」
話しながらやっとおしんに表情が戻っていた。
「もう二度と、あんな子は産みたくない……」
こぼれる涙。
「ああ。二度とあんたにそがんつらか思いはさせん。今度子ば産む時は、体ば大事にすっごと……あたいでん、十分気ぃ付くっごとすっけん」

お清が初めておしんに見せた優しさであった。それがおしんにせめてもの慰めになってくれたらと竜三も恒子もほっとしていた。が、その時おしんが何を思い詰めているか、誰にも分かりはしなかった。
(第143話 おわり)

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